あまりにも見解がズレていると、ある時、急遽人と大きくぶつかることがある。
当たり前のことだけど、そんなときはいきなり顔面パンチをくらった気分になり、頭に血がのぼり、もはや冷静には対応出来ず、同じくらいの分量の感情でぶつかってしまう。
つい最近、そんなことが起きた。
そのメールを目にした途端、胃がきゅーっと縮まり痛くなった。
「あ、ストレスってやっぱり身体に影響するんだな~」と、やけに冷静に実感した。
これまでも何度か、理不尽なことはあった。でもここまでお互いやり合ったのは初めてかもしれない。立場も年齢も性別も全然違うから、ここまでやりあえるのかもしれないけど。自分にとってはちょっとした事件だった。
でも、感情をぶつけるだけぶつけると、少しずつ心が静かになってゆく。そんなときにふと、相手のことを思う余裕が出てくる。
まず、原因としては「思い違い」によるズレ。「こうだと思ってたからこうしただけだ」「そんなこと聞いてない」「え、そんなこといつ誰が言ったの?」「普通こんなことしないだろ」…などなど、そもそものスタートラインでズレが生じていた。
それから、これは色んなことに共通するけど、特に役場に長く勤めてきた人と私のように就職もしたことがなく、フリーで舞台をやってきた人は、自分の思う普通と相手の思う普通がまるで違う。
様々な立場における「普通」という感覚。しかし万人に当てはまる普通など、ない。
これは、残念ながら言葉では解決しないし、分かり合える訳もない、絶望的な違い。(どちらを馬鹿にしてる訳でもなく、生き方、仕事の進め方がまるで違うからどうしようもないということ)
「郷に入れば郷に従え」
ということもあり、この一年半、予算に対する考え方から使い方まで分からないことだらけで、数々の小さなタブーをしでかしてきた身としては、勿論勉強しなければならないし、少しずつ教えて貰いながら考え方を分けて何とかやってきた。
しかし残念ながら、私はどんなに頑張っても自分が関わってきた領域では公的な立場でものを考えることが出来ない。頭では理解したとしても、一アーティスト、ダンサーとしての仕事のやり方、在り方が染み付いているし、他のアーティストに対していつだって味方で居たいし、ものづくりをする為の最低限の時間、あらゆるスキルに対する対価は得るべきだと思っている。
ただ、それは残念ながら「文化芸術事業」以外の現場で理解を得ることは少ないし、「文化芸術事業」だからって必ずしも理解を得ることは出来ない。
最終的には、立場を越えたところにある対話が成立するのか否かだと思う。コンセプト、金銭面、様々な課題があるにせよ、「お互いの歩み寄りがみられるか?」は立場の異なる人と何かを成し遂げるにあたって、重要なことだと学んだ。
さて、結局ぶつかった相手とはどうなったのか?
ありがたいことに、対話が出来ました。笑
ぶつかって貰えるというのは、一つの希望なのだと学びました。自分が言葉足らずで誤解を受けやすいというのも、反省するひとつのきっかけとなりました。(この性格が直るかは別として…)
話はちょっと飛ぶけど…
地域おこし協力隊というのは、割と制約が多い中でも自由度が高い活動が出来るのは良いことだなと思うけど、様々な人の視線、考え方にさらされ、基本的には「起業」「定住」などを念頭に置いた地域の課題解決をメインにした活動を強いられます。
とは言え、誰一人として同じ人生を歩いてきた人は居ないわけだし、最終的に誰かが一生涯保証してくれることもないわけです。
そんな中、結局何を「仕事」とし、どんな「生活」をしていきたいのか?どんな「場所」で暮らし、どういう「人」と触れたいのか…
軸となる自分の柱のようなものがあった方がいいんだなということも学びました。(現在進行形で学んでいます)
マジで、色々な人が色々なことを言ってくる!良かれと思って!うまくいってそうな人のやり方を勧められるし、自分を大きく見せたい人が色々とアドバイスをくれたりする。
最初は気づかなくて、すごーい!と思ってそうかそうかと聞いてたりもしたんだけど、はっきりいって今となっては、殆どのことが参考にならない。正直、自分で考えたい。
そういう意味では、この「柱」なるもの、自分自身の指針を見つめたり吟味するために、移住したのかもしれないなと最近思います。
やっと、じわじわと形成されるこの柱が、今後の自分を支えてくれそうな予感がします。