コロナの収束が見えないことで、ぼちぼち今年一年、こんな風に「決まっていたことが揺らいでいく」のが、割と当たり前の感覚になっていくのではないかと思う。
私が移住して、ようやく慣れてきた(慣れたわけでもないけれど)仕事の一つに「予算案」や「年間計画」がある。今まで殆どやったことがなかったけれど、大体役場では来年度の「予算案」というものを12月の上旬頃までに打ち出し、1月頃にはほぼ確定させて新年度を迎えている。
私自身は、4月以降の新企画のために3月にプレワークショップを行う予定だった。だけど、そのテスト的存在だった事業が潰れてしまい、4月以降の方向性も暫し見えなくなってしまっている。
でも、ここで立ち止まって初めて見えてきたこともある。
●「予算を使って何かをやろう」という感覚を、一旦やめてみる。
●「地域おこし協力隊卒業後を見越した動き」を一旦やめてみる。
大体、今うまくいっていることや、築いてきた人間関係というのは、殆ど「予想外」の出来事によって創られてきた。特に地域絡みの事業で「こうしよう」と思ってやったこと程、あまりうまくいかないし、面白くならない。
人によって向き不向きはあるのだろうけど、「お金を動かそう」とするより「自分で大きな目標を立てて動かそう」とするより、「何か分からないけどここに連れてこられた」みたいな方が、私の場合はうまくいくことが多いようだ。
そして、「心が動く」のを待ってから行動に移した方が、人に伝わりやすい。
だから、年間計画とか予算案は、私の場合、うまく距離を取らないと自分で自分の首を絞めることになる、と思った。今回、強制的に流れを止められたことで、「ああ、これって別に本当にやりたいことではなかったのか」と気づけることがあったし、「いつも何かをやらなくちゃいけない」と思い込んで生きてきたなあ・・・と気づいた。(でもフリーランスは仕方がないよね。待ってるだけじゃ、仕事は来ないから)
さて、先の読めない中、私がしたことと言えば、本当に小さなことだった。
●庭を耕す(まだ庭にすらなっていない)
●土鍋を買って美味しくご飯を炊く
●家の掃除
●事業がキャンセルになってしまったゲストに手紙を書く
●訪問体操をする(集団での体操事業が全て中止、自粛なので、家に訪問して超小規模で換気しながら体操をする)
最後の訪問体操に関しては、信頼関係のある人のみ、毎週顔を合わせている体操参加者さんの中で、希望者のみ、という感じでした。
コロナ感染は高齢者が一番危険だと言われているけれど、外出機会が大幅に減るのもストレスが溜まったり、身体を動かす機会が奪われてしまうこともあって、それこそ二次被害だなあ・・・と思うのです。一人で家でDVDを見て体操、というのも中々・・・出来なくはないけどやる気にならない。
結局、「体操」を気持ちよくおこなうのに何が必要なんだろう?と考えたとき、それは理論でも分かりやすい技術伝授でもなく、人と人が交わす「エネルギーの交感」なんだな、と思います。
こういう場を日常的に持てるというのは、何て運が良いんだろう、と今更ながら思う。
そこで行われているのが「ダンス」ではなく「体操」だとしても、根本的にあるものはエネルギーの交感なんだと思うと、ダンスに拘る必要はない。ダンスに拘りたい現場は、もっと他にあるんだと思える。
先々の事を見ようとしすぎて、今を見落としてることがたまにある。
もっとじっと、見つめる時間をとっても良いのだな、と思えたのもコロナが起きてからの収穫。
さて、今しか出来ないこと、静かに探してやってみよう。